光景ワレズ

KOUKEI-Warez photography

発露

MINOLTA CLE / Elmar 5cm F3.5 (FP4 PLUS)

写真雑誌にある投稿コーナーでの上位入賞者のコメントにその作品を撮ったときの状況や心境などを解説しているものがあり、「……というわけで夢中でシャッターを切りつづけていました」というものをよく目にする。

ところでけちくさい話ではあるが、フィルムカメラをメインに使うようになってからは、「ムダ撃ち」は控えるようになった。コスト的な意味もあるし、デジカメでは500や1000が当たり前のタマ数が36しかなく、どうしても慎重になるというところもある。 数打てば当たるというのは真理で、技術的な裏打ちが無くても、経験が浅くても、沢山撮ればいい写真は撮れる。そういう意味で取れ高は下がってしまったのかもしれないが、限られたタマ数を意識して、なるべくよく考えて撮るようになったのは逆にメリットだと感じている。考えるチカラがついて、かつ数も打てたら一番いいのだろうけど。 また、写真を撮るということ自体に、そこに残る写真が目的ではなく、(そこに自覚があるのか否かはともかく)撮る行為自体が目的であるような人も多い。そのとき見た光景への感動を“カメラを向けるという行為”に発露するわけだ。この場合、自分がまさにそうだったが、撮った写真は後で見ないことが殆どである。

そういう前振りを踏まえて本題だが、散歩中にこのきれいなヤカンが置かれた風景を見たとき、まさに身体的行為としての撮影、夢中でシャッターを切り続けた自分がいた。未だになんでそうなったのか、ちょっと説明がつかないでいる。