光景ワレズ

KOUKEI-Warez photography

心緒(2)

Leica MP / Voigtländer ULTRON 28mm F2 (HP5 PLUS)

【2013/5/8記す】② ところで子供をつくるということは、アタマだけの論理的合理的思考でいえば、今の日本の一般庶民の生活状況下では確実に自分自身にとって経済的デメリットが大きく、自分の楽しみを捨てざるを得ず、苦しくキツい生活が待っていて、その上子供自身にとってもこれからの日本がより良い国になっているわけがないし、そうそう簡単に幸せになれるわけがない、と思えてしまう。ビッグダディの生活なんて見せられたら尚更だ。結婚しても子供を敢えて作らない選択をしている人のこともよくわかるし、自分もそれでいいという考えだった。どう考えても合理的ではない。生き物の世話をし、癒しを得ることが目的の、母性本能のようなもののぶつけどころが欲しいということであれば、犬か猫でもいい。そして、ぼくは子どもがそこまで好きなわけでもない。むしろ犬が飼いたい。宗旨替えしたどころか、多分今でもどこかでそう思っている。 ではなぜ確実なる避妊をしなくなったか。 自分は割と色々知りたがりなほうだと自覚するところで、様々なところに出かけたり、あれこれやってみたくなる。単純に言ってしまうとそういうことで、自分の血を分けた子どもに会ってみたい。人体の機能を使ってみたい、そしてこれだけの人たちが、なんだかんだ言いながら、言われながらもしかしながらちゃんとやっている子育てというのをぼくもやってみたいと思っただけなのだ。種の保存とかそういう大義名分はどうでもいいし、自分の家系とか血統も特に気にならない。子供を作らないという選択を取る人、取らざるを得ない人、嫌いな人、そして作りたくてもできない人…色々考えや事情はあると思うしそれぞれなんら否定されるものではない。むしろ、自分も余計そっちのほうがうらやましく思うかもしれない(そもそも、まだ無事に生まれてくれるのかという不安も多々あるが)。 ひとつだけ確実に言えるのは、自分も含め人の考えなどいくらでも変わるし、未来のことは誰にもわからないということだけだ。ヒトひとりの人生をスタートさせるということの責任の大きさ、不確実性を想像すると怖くて仕方がない。考えていて、本気で気が遠くなることが何度かあった。

ただ、そうやって理屈で考え続けていたら絶対にネガティヴな捉え方や面を見て、子供をつくるという選択肢は取らなかっただろう。なのでこればかりはある種の勢いというか、流れが必要だと思ったのだ。人間はすべて理で動くのみの生き物ではない。 わかっていることと、それができることは違う。知っていることと、理解していることは違う。理想を語ることと、それが実際かどうかは違う。そして、違ってて良いのだ。以前例のファイル交換ソフトでプライベート画像の流出が相次いだが、教会で働いてるらしき奥さんがSMハメドリプレイをしていた。まあ人間そんなもんだ。 だからまずナマのセックスというところから入った(SMは興味ない)。ちなみにぼくは慎重派でありナマではしたことがなかったのでこれはこれで新鮮であった。つまり熟考したうえでの勢い任せ、熟考したうえでのナマのセックスというわけだ。そして、授かった。ぼくらの人生に新しい波が立ち始めた。 なお、今の心境ではビッグダディはやっぱりビッグなのかもしれないし、先に書いたように不幸の見本みたいに言ってしまうのは誤りで、むしろ充分幸せな暮らしをしている部類なんじゃないか、と思い直しはじめている。