光景ワレズ

KOUKEI-Warez photography

震災(11)

SIGMA DP2x

そもそも、なぜ縁もゆかりも無い被災地を見に行く気になったのかというところで、「震災当日に日本に居なかったことに何か思いがあるのでは」という指摘があった。たぶん、そのとおりだと思った。

ぼくは震災の当日ペルーのチチカカ湖周辺の街にいた。最初に知ったのはネット、しかもTwitterのタイムラインで、だ。そして帰国して数日間は、ぼくは東京ではエイリアンになった。みんな少しおかしくなっていた。当然だろう。

ぼくが東京に帰ってきたのは震災から3日ほど後で、あと1日予定が早かったら飛行機が飛ばなかったかもしれなかったが、予定通りに帰ってこれただけでも良かった。でもまだ成田エクスプレスは運休、なのでバスで新宿まで行くと、取り敢えずという感じでわけもわからず本当に必要なのか不要なのか、効果的か否かも見極めないままの節電モード、明らかに記憶の中のそれよりだいぶ薄暗い新宿を眺めつつ、バックパックを背負ったまま思い出横町の「若月」でラーメンを食べた。 ちょっとした揺れで過敏に反応し、毎日職場で朝買っていた自販機の水がある日一斉に売り切れる。うざいほど周りのケータイから一斉に鳴る緊急地震速報。そんなのが沢山いた。ちょっとした地震ネタをしたら不謹慎だと咎められた。 正直に言って、失礼ながら馬鹿かこいつらと思った。勿論、周囲と比べひとりで地震や関連事象に関するテンションが完全に違い、「空気が読めてない」やつだったので、むしろぼくは周りに馬鹿じゃないかと思われていたのだろうと思うところだが。 ただ自分としては理解をしよう、近づこうという観点もあり、震災関連の動画や写真はよく見て、幾ばくかの募金もした。ただやはり体験したこととそうじゃないことの違いは大きい。職場の机があっちこっちにビュンビュンしたという話や、5時間歩いて帰った話。途中で自転車を買って帰った話。窓から見えた千葉の爆発の話。こう言ってはなんだが、ぼくはそれを体験したかったのだ。 今回の震災を自分の体験のより近くに感じたかった。だから見に行ったのだろう。そしてこの行為は間違いじゃなかった。ぽぽぽぽーんのCMが流れなくなってから、どこかでもう過去のことになっていた。でも実態は全然そんなことはなかった。現地のにおいはネット経由では嗅げないことがわかった。